2020-03-10 第201回国会 衆議院 環境委員会 第2号
これをよく考えてみると、先ほどの、先祖返りと同じというのはどういうことかというと、江戸から明治にかけて日本に来た人たちがいっぱい紀行文を残しているんですね。その中にいろいろあるんですが、日本はきれいだというのがある、子供を大事にする、大八車が通ってもみんなでよけて通る、それから、意外なんですが、働かないというのもあるんですよね。
これをよく考えてみると、先ほどの、先祖返りと同じというのはどういうことかというと、江戸から明治にかけて日本に来た人たちがいっぱい紀行文を残しているんですね。その中にいろいろあるんですが、日本はきれいだというのがある、子供を大事にする、大八車が通ってもみんなでよけて通る、それから、意外なんですが、働かないというのもあるんですよね。
これは、識別情報の中に、特定の地区が同和地区などと指摘しながら、その一部に、文面上、差別解消目的であるかのように標榜したり、紀行文の体裁をとるなどしているものがありまして、このようなものが先ほど申し上げた差別を助長、誘発する目的と言えるのかという点で疑義があったものですから、その考え方を整理した依命通知でございます。
また、当時の新自由クラブ事務局員の紀行文の一部を無断転用したということ。 二つ目には、同代議士が執筆した月刊誌「サンサーラ」、九二・十月号によりますと、ポル・ポト派潜入とされていたが、実際には現地に行っていなかった。 それから、この著書の略歴に米国カリフォルニア・コースト大学経営学博士課程修了と記載されているが、これは事実に反する。
○末永参考人 飛鳥地方に対する歴史的関心は、江戸時代における紀行文及び名所図会等にすでにおさめられてあります。その後、明治末から、喜田貞吉先生らによって、文献による飛鳥の研究が進められてまいりました。喜田先生は、文献だけではなく、考古学方面にも造詣をお持ちになっておられた方でありますが、しかし、考古学調査の現実に入りましたのは、昭和以来のことでございます。
○参考人(竹内理三君) ただいまお読みになりました説は、実は、私もそう考えておるのでございまして、私も、国の津と考えるのは、国府の近くになければならぬとは考えないので、国から京都あるいは中央に物を送り出すための港であるという意味であって、それから、確かに国府のあります磐田の近くにいまも先生の言われました今の浦という港が、鎌倉時代には荘園があって行くとか、鎌倉時代の東海道を下りましたお公家さんの紀行文
○栗山良夫君 なぜ私が愚問めいたことをお尋ねするかと申しますと、直接個人の名前をあげて、該当者があったかと反問されると私もちょっと困るのですが、要するに公的な調査機関の依頼を受けたというので、海外、特に東南アジア方面を旅行し視察した人が、どんどん個人名でもって日本の国内へ原稿を送って、コマーシャルの雑誌とか、その他の文献に紀行文を寄せあるいは経済事情等を報告されておる向きがあるのですがね。
同じ紀行文でもそれはいろいろ書き方がありますからね。
○政府委員(内田常雄君) 栗山委員のお話ですが、私はお言葉を返す意味ではありませんが、私の感じでは、アジア経済研究所から公費をもらって研究を対象にした、この研究の成果をみだりに民間に発表するというようなことは、これはまあ厳に戒むべきことと思いますが、ものにもよりけりで、たとえば軽い紀行文を新聞に載せるとか、あるいはコマーシャルということになりますか、雑誌に載せるとかというようなことも含む御意味でありましょうか
国会図書館には現職の国会議員並びに元国会議員等々の著書も多少はあるよう耳見受けられますが、前々から本委員会において私から御提案を申し上げたように、私の最後の希望は、元国会議員及び現職国会議員が、在職中あるいはその前後において著述された創作あるいは論文でありましても、紀行文でありましても、そういう関係のものであつてあつても、あるいは和歌、詩歌等の文芸物でありましても、結局はなるべく多くお集めを願つて、
○矢嶋三義君 懇談会に入る前に最近文部委員会で地方に出張した場合の報告を承われないような状況なんで、できるだけ早い機会にまあ普通よくやられるような紀行文式のものでなく、内容的に要点をつかんだのを各派ごとに報告するような機会を持つて頂きたい、これが一つ。
このとき、ニユーヨークの書店ハーバー社の依頼を受けて、フランス領西インドにおもむき、約二箇年滯在して、その地に関する紀行文や小説を発表し、彼の名は文壇に高く評価されるに至りました。ハーバー社は、次いで彼に日本行きを勧めることとなり、一八九〇年、すなわち明治二十三年四月、ハーンあこがれの日本渡来となつたのであります。
古來幾多の文人墨客の紀行文あいるは詩歌、俳句等によつて著名な地域であるだけでなく、歐米における文豪、詩人等の來朝の際は、必ず松島を訪問されて、その明媚なる風光を觀光されているのであります。數年前にも、イタリーのダヌンツイオの最高の弟子の文豪が來られて、イタリーにおけるナポリの風光にも優るところの結構な地域であるということを激賞されておつたのであります。